院長の生い立ち 東京国内留学編(その1)

2024年05月18日

前回は内視鏡の師匠との出会い、そして東京国内留学の序章をお話しました。今回はいよいよ東京生活の始まりです。

 

■基礎研究の道へ
東京は新宿に、国立国際医療研究センター(略称NCGM)という施設があります。新型コロナ禍の初期によくニュースに登場したので、皆さんも耳にしたことがあるかもしれません。ワクチン啓蒙のTV CMに登場された忽那先生(現大阪大学教授)がおられた所です。前身は国立東京第一病院で、旧帝国陸軍にルーツを持つ、非常に歴史のある施設です。ちなみに敷地内にはかつて陸軍軍医学校があり、その校長を森鴎外が務めていたことから、病院には彼が愛用した机と顕微鏡が展示してありました。私が行くことになったのはそのセンターに附属する研究所です。消化器疾患研究部という部署の女性部長が、我が母校および医局の大先輩であり、教授とは出身大学は違うものの同級生で、しかも大学時代に同じギターマンドリン部に所属しておられ、元々面識があったという縁で、お声がかかったという訳でした。

 

「国立国際医療研究センター研究所 消化器疾患研究部」という舌を噛みそうな仰々しい名前から分かるように、ここは完全に基礎研究に特化した施設です。「基礎研究」を分かりやすく説明すると、ネズミや培養細胞を用いて試験管や培養皿の中で実験する、という内容で、対語である「臨床研究」のように患者さん(ヒト)は一切登場しません。ただし、基礎は基礎でも臨床寄りの研究もあって、例えばヒトから採取した組織や細胞を用いて行うものなどがそれに当たります。研究界ではより実臨床に近い、ヒトの検体を用いた研究の方が高く評価されるのですが、私に白羽の矢が立ったのはまさにそこが理由でした。当時、消化器疾患研究部(以下ラボと呼びます)には医師免許を持った研究員は部長しかおりませんでした。ヒトの組織を採取するには、まさかその辺の歩いてる人をとっ捕まえて取るわけにはいきませんから、手術や検査を受ける患者さんから同意を取って、診断や治療に支障のない組織の一部を頂く形になります。医師であれば病院や手術室に出入りしやすいですし、内情を知っている分、欲しい組織の交渉もしやすいだろう、という訳です。実際、その後何度も埼玉の病院の手術室まで、電車とタクシーを乗り継ぎお使いに行くことになりました。
とは言えそれはあくまでもラボのお手伝いの使いっ走り。本来の目的は学位のための研究です。そこには私の医者人生で一番と言ってもいい試練が待ち構えていました。

 

ラボのD部長は私を迎えるにあたって、「流動研究員」というポストを用意してくれていました。のちに知ったことですが、研究界ではこのポスト一つですら争奪戦です。給料をもらって研究できることがどれほど幸せなことか、当初の私は全く理解していませんでした。もちろんその給料も臨床医とは雲泥の差です。大卒のサラリーマンの初任給ぐらいと言えば想像がつくでしょうか。同じラボにはその給料で家族4人を養っている研究員もいました。一時期、世界を席巻していた日本の研究界が近年著しく競争力を落としているのは、この辺りに原因がありそうです。優秀な研究者が海外に流出したり、研究自体を辞めてしまったり。国がどこまで危機感を持っているか、当時から15年経っても変わらない状況を見ると疑問を感じずにはいられません。
研究者たちはまさに1年1年が勝負です。結果を出し、国や財団などから研究費を獲得しなければ翌年は解雇されるかもしれません。ラボ自体がなくなってしまうことも珍しいことではありません。身分やサラリーがしっかり保証されている我々臨床医が、どれほど恵まれ甘やかされた存在なのか知ることができただけでも基礎の世界に触れた価値があると思っています。

ラボがあった研究所(NCGMホームページより転載)。

旧病院。独法化するまではIMCJと略されていました。

現在の新病院。私が帰阪した年に建て変わりました。お城のようです・・・

■東京恐るべし
東京行きが正式に決まってからは、診療業務の傍らその準備に追われました。ラボのD部長の指示の通り履歴書や申請書を作るのですが、何せ研究をかじったことすらない私ですから、これまでの研究歴や業績を書けと言われても書けるはずがありません。海外留学経験のあるグループヘッドの先生の知恵を借りて、四苦八苦しながら作った記憶があります。防衛医大出身のI先生が、東京での臨床バイト先を斡旋してくれたのは大変助かりました。許された週一の外勤日を使って新宿から片道1時間45分かけて遠く青梅の病院まで通いましたが、臨床医としてのプライドを取り戻せる貴重な時間でした。そのあたりは後ほどまた触れたいと思います。

 

やはり準備の中で一番大変だったのは下宿探しでしょうか。何せ探しに行く時間がありません。ある週末の日曜日、早朝の新幹線に乗って東京まで行き、事前にネットで目星をつけていた新宿の不動産屋さんに飛び込んだのですが、まさか予約が要るとは知らず(今なら予約は当たり前ですが、当時の関西はおおらかで予約なんて不要だったんです)、「予約なしの方は15時にまたおいで下さい」と言われ、しばし絶句。「あの〜実は今日大阪から来て、また今日大阪に帰らないといけないんです…」と伝えたところ、世間知らずの田舎もんを不憫に思ったのか、なんとか案内してくれることになりました。あれこれ悩んでる余裕はありません。結局、最初に連れて行ってくれた賃貸マンションに即決しました。5畳ぐらいの激狭ワンルームでしたが、お家賃なんと月10万5000円!関西ならファミリーマンションに住めます。恐るべし東京、恐るべし山手線内側!ちなみに当初は愛車も持ってこようかと思ってたのですが、駐車場代が月8万円と聞いた瞬間に諦めました。人住めるやん…

 

このマンション、狭くて高い以外は、職場から近くて良かったのですが、歌舞伎町からも近かったので、上層階にいわゆるお水系の方々がお住まいでした。ある夜のこと。実験で疲れた体でマンションの郵便受けを見ていると、後ろからいかにもそれ系の格好をしたアジア系の大柄な女性が入ってきました。軽く会釈をすると、その女性は私の頭の先から足の先まで舐め回すように見た後、ニヤッと笑ってひと足先にエレベーターに乗って上がっていきました。

「なんか怖いな…」 私はエレベーターを待ちながら、しかし妙な違和感を感じていました。その違和感の正体について考えていると、おもむろに降りてきたエレベーターのドアが開き…中には先ほどの女性ともう1人別の女性が。その褐色で筋骨隆々な二の腕を見たとき、私は抱いていた違和感が何だったのかに気がつきました。舌べろを出しながら手招きする2人! 私は思いっきり顔を引きつらせたまま、一目散に非常階段を自宅のある6階まで駆け上がったのでした。幸い追いかけては来ませんでしたが、以降、エレベーターに乗る時は必ず1階に付いている室内モニターで誰も乗っていないのを確認してから呼出ボタンを押すようにしてました。
2人の女性の正体については…もうお分かりですよね。いくら多様性の時代とは言え、身の危険を感じてはさすがに…ねえ。

 

実はこの話には後日談があります。ある日、6階の自宅から出て下りのエレベーターに乗ろうとしたところ、なんと扉の中にいたのはあの2人組でした(室内モニターは1階にしかありません)。固まってる私を見た2人は、前回とは打って変わって爽やかに、「こないだはゴメンやで。ちょっとからかっただけやん。許してえな」(実際には現地語なのであくまで私の想像)と、私の肩をポンポンと叩いてお店の名刺を渡してきたのです。何だかホッとするやら情けないやら。
その後、そのお店に私が行ったかどうかは・・・皆さんのご想像にお任せします。

 

話が少し脱線して、今回は新生活が始まる前に終わってしまいました。次回、いよいよ本格的な研究生活がスタートします。<つづく>


タイトルとURLをコピーしました