院長の生い立ち レジデント編(その3)

2023年10月18日

前回から1年弱、随分とご無沙汰してしまいました。まるで人気作家のような休載と言えば聞こえは良いですが、単に忙しさ?にかまけてサボってただけです。元来の筆不精ですのでご容赦ください。

さて、前回は医師としてよちよち歩きを始めた頃のエピソードをご紹介しました。今回は歩き方も少ししっかりしてきた後期レジデント時代をお届けしたいと思います。

 

■レジデントの1日
レジデントの朝は病棟回診から始まります。とは言え、以前にご紹介した教授回診のような大袈裟なものではなく、自分一人での回診です。と言うのは大学病院と違って市中病院では、基本的に1人の患者さんは1人の主治医が診るからです。もちろんレジデントクラスのひよっこだと当然指導医が付きますが、普段は登場せず、ここぞと言うときに介入する程度です。当時の勤務先ではレジデントは外来診療が免除されていたので、9時から始まる検査の前に、前夜の看護記録を一読してから全ての患者さんのベッドサイドを訪問していました。ちなみにこの看護記録というのは私が思うにとてつもなく重要で、特に優秀な看護師さんの記録は何にも勝る情報源となります。所詮我々医師は1日のうちのごく一部の時間しか患者さんを診ることが出来ません。残りは看護師さんが我々の目と耳になってくれているのです。患者さんも医師相手には気丈夫に振る舞っていても、看護師さんにはついポロッと本音を漏らすなんてことはよくあります。看護師さんが、「先生、あの患者さん何か様子がおかしいんですけど…」というときは大概当たりです。私の経験則から、そういうときは素直に耳を傾けることにしています。

 

消化器内科は検査が多い科です。一人前の消化器内科医になるには検査を極める必要かあることから、レジデントはひたすら検査の経験を積みます。午前は胃カメラ、午後は大腸カメラや胆道処置、血管造影など、あっという間に夕方です。と同時に朝に採血をした患者さんの結果が昼頃に出るので、昼休みを使って病棟でその対応をしていると、昼食が摂れないことも多々ありました。それでも日々自分の成長を実感できたあの頃は、今までの医師生活の中で最も楽しく充実していたように思います。

昼食が摂れないこともあった当時の私にとって、何より楽しみだったのは夕食の時間でした。検査がひと通り終わるのが夕方。その後もう一度病棟回診をしてカルテ記録をしていると軽く夜になるので、休憩がてら医局で夕食を摂ります。勤務先のすぐ近くに、「新生飯店」という大衆中華料理店がありました。無口なお父さんが調理して、お母さんが切り盛りする一家経営風の、いわゆる街の中華屋さんですが、いつでも注文できて、すぐ宅配してくれるのでよく利用していました。電話応対は元気なお母さん。定食はワンプレートで唐揚げやら春巻きやら餃子がてんこ盛りのボリュームたっぷりの一品です。アブラギッシュ過ぎて付け合わせのキャベツがもうギトギトなんですが、当時まだ30歳過ぎの私にとって何よりのご馳走でした。今食べたら間違いなく翌朝爆死しますが。ちょっと気になってググってみたらまだあるみたいですね。あのお母さん元気だったら良いんですけど。久しぶりにあの声を聞きたいなぁ。
「はい、しんしぇいひゃんてんでーしゅ!」

 

お腹いっぱいになったら、あともう一仕事。担当患者さんのカルテ記録を仕上げておしまいです。しかしながら緊張からの開放感と満腹感でキーボードに手を乗せたまま寝落ちすることもしばしば。気がつけば患者さんの訴えの欄に、
「うふふふふふふふふふふふふふふふふ…」
と延々と記載されているではありませんか。めっちゃ笑ってるやん!こわ…
そして仕事の早い同期が「お疲れ〜お先〜」と上がっていくのを尻目にカルテ記載を続けるのでした。とは言え、当時独身で帰っても寝るだけの私にとっては1日を振り返りながら、消化器内科医として必要な知識を増やすのにとても有意義な時間だったと思います。

職場の先輩医師や看護師さんたちとの飲み会。楽しかったなぁ

■マル暴はチン⚪︎ラより強し
当時の勤務先にも印象に残る患者さんがいます。ま、正確に言うと患者さんだけではないのですが。
その患者さんはかなりヤンチャな感じの中年のおじさんでした。片方の小指が少し短いおじさんです。肝炎の治療をしていたのですが、とにかく素行が悪くて、ともすればすぐにキレるので看護師さんたちも手を焼いていました。幸い主治医の私の言うことは比較的聞いてくれていましたが、ある日とうとう恐れていたことが。同室患者さんに暴力を振るってしまったのです。さすがに内々で済ますわけにもいかず、警察に通報することになったのですが…
その日は何とか検査業務を免除してもらい、主治医として警察の事情聴取を受けることになった私の前に現れたのは、人相の悪いいかにも腕っぷしの強そうな大男。
「やばい、仲間が警察を偽って仕返ししに来たんちゃうか…?」
思わず腰を浮かしかけた私の前に示されたのは、確かに黒皮の警察手帳でした。
「〇〇警察の〇〇です。忙しいとこすんまへん。△△がやらかしたっちゅうことやけど、詳しいこと教えてもらえまっか?(ラ行は巻き舌で)」
私は思わず、「すいません、私がやりました!」と言いそうになりま…せんでしたが、それはそれは迫力のあるお巡りさんでした。そうかぁ、これぐらいじゃないとマル暴は務まらんのかぁ、なんて妙に感心しながら変な汗をかきかき取り調べを受けたのが思い出されます。滅多のことでは動じない、隣に座ってたI部長がこそっと、「あいつの方がよっぽど怖いな」と呟いていたのが印象的でした。
結局その患者さんは連行されて強制退院となりましたが、治療は続けないといけないので、部長外来に引き取られることになりました。でもその後はずっと大人しかったそうです。警察署でよっぽど怖い思いをしたのでしょうか? 想像したくありませんが。

 

■痛恨の失敗
私にとって未だに悔やんでも悔やみきれない出来事があります。
当時、私はもう1人の同期とそれぞれ30人近い患者さんを担当していました。電子カルテに担当患者一覧が出せるのですが、30人ともなると1画面には収まらず、スクロールしないと見切れません。これがこの事件の伏線になります。
さて、たくさんの患者さんを受け持つと、残念ながら治療の甲斐なくお亡くなりになる方も出てきます。まだ若くて体力も有り余っていた私は、自宅が近いのもあって、担当患者さんが亡くなった時はたとえ夜中でも呼び出してもらうように病棟の看護師さんにお願いしてありました。それが主治医の務めだと熱く信じていたからです。なお大概の病院では、夜中は当直医が主治医の代わりに患者さんを看取ります。医者も人間。夜中にしょっちゅう呼び出されていたのでは身体も持ちませんし、睡眠不足から思わぬミスを呼び込みかねませんので。

 

ある朝、いつも通りカルテを見ていると何やら違和感を覚えました。
「なんか人数が少ない気がする。誰が抜けてるんやろ?」
画面をスクロールしていくと…
「あ、〇〇さんがおらん!」
私は慌てて〇〇さんのカルテを検索画面から開きました。するとなんと3日前に亡くなっていたことが分かったのです。確かにもう打つ手がないほど状態は悪く、いつ亡くなってもおかしくない患者さんでした。また身寄りの方もおらず、市の職員さんが後見人になっている、そんな方でした。とは言え、です。
病棟の看護師さんに、「なんで呼んでくれなかったんですか!?」と苛立ちながら尋ねたところで、返ってくる返事は「あ、すいません、先生呼ぶんでしたね、忘れてました」だけ。
前述の通り、普通は当直医が看取りますし、そもそもカルテから名前が消えていることに気付かなかった自分が悪いわけですから、ただの八つ当たりです。そんな自分に腹が立っていただけなんです。担当患者一覧のスクロール2ページ目に名前があって、気付きにくかったなんて言い訳にすぎません。
身寄りのない患者さんだからこそ、最期ぐらいは主治医としてきちんと見送ってあげたかった。私は心の中で何度も「〇〇さん、ごめんなさい」と謝りました。後悔先に立たず。謝ったところで時すでに遅く、ただの格好つけの自己満足やろと言われると返す言葉もありませんが、自分の悔恨と折り合いをつけるにはそうするしかなかったのです。この痛恨の失敗はあれから15年以上経った今でも、私の心の中に黒いシミとして残り続けています。

 

楽しく充実していたレジデント時代ももうすぐ終わりです。次回、新天地への足音が聞こえてきます。 <つづく>


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