今回は、前回たどり着かなかった大学卒業までを書きたいと思います。
タイトルは前回「後編」を使ってしまったので、苦し紛れの「卒業編」で・・・
6回生、最後の西医体はベスト8で敗退しました。「もうこんな真剣勝負することもないんやなぁ」と思うと、こみあげるものはありましたが、これにて私の大学6年間の野球人生は閉幕となりました(プロ気取りか)。たくさんの先輩方や同級生、後輩たちに感謝しつつ、後ろ髪を引かれながら、でもやりきった充足感を胸に岐阜の地を後にしたのです。
燃え尽きてしばらくは放心状態でしたが、あまりうかうかはしていられません。なにせ翌年2月には医師国家試験(略して国試)が迫っています。今は8月。ここまでほぼノー勉強。急ピッチで仕上げるべく、試験勉強に取りかかりました。
ところで医師国家試験の合格率をご存じでしょうか?その年によって若干の変動はありますが、実は約90%もあります。皆必死で勉強するからというのもありますが、裏を返せば皆と同じように勉強していれば普通は合格するということです。「皆と同じように勉強する」にはどうしたらいいか? その答えが「勉強会」というスモールグループです。通常はだいたい10人前後の仲のいい者同士が集まってグループを組み、大学のグループ個室で一緒に参考書の問題を解いたり、分からないところを教え合ったりして、一人だけ的外れな勉強をすることを防ぎます。私の場合は総勢7名のグループでした。他大学のことは詳しくありませんが、大体どこも同じような感じでやっているのではないでしょうか。うちのグループには私を含め野球部が4名いましたが、当然みな出来が悪いので、リーダー的存在のメンバーによく助けてもらいました。彼は今、膠原病内科医として活躍していますが、内科の中でも難解な専門分野に進むあたり、やっぱり頭のいい奴は違いますね。
ちなみに医師国家試験の前の関門として、卒業試験があります。大学を卒業するための試験ですが、10月に行われ、これに通らないと留年になるので国試どころではありません。ただ、当時はまだほのぼのとしていて、通すための試験みたいな雰囲気がありました。例えば、卒業試験の試験監督には各医局の若手の先生達が駆り出されるのですが、中には野球部の先輩もいて、監督するふりをしながら我々後輩の机の上でこっそり正解の番号を指さす、なんてことも。あとは素知らぬふりで指さされたところを塗りつぶすだけで1問ゲットです。ところが試験後の答え合わせでそれがなんと不正解だと気づいて思わず、
「あのポンコツが~!」
先輩、すみません。もう20年前の話ですから時効でお願いしますね。
今は医師国家試験の合格率が高校生たちの大学選びの基準になる時代ですので、卒業試験も鬼のように厳しく、いとも簡単に落ちます。つまり国試の合格率を上げるために、国試に落ちそうなやつはその前に落とせ、という訳です。今の時代でなくて本当に良かったです。絶対留年していた自信があります・・・
無事に?卒業試験をクリアし、あとは国試に臨むのみ。のはずでしたが、最後から2回目の模試でなんと学年下位10人に入ってしまい、私の顔色が変わります。
「このままではヤバイ・・・」
すでに年末が見えている時期で、このときが一番精神的に追い詰められました。それこそ勉強会のメンバーとまともに会話できなくなるほどに。そこから自分なりに勉強法を変えて、1日12時間以上必死に頑張った結果、最後の模試で学年30番にジャンプアップしてようやく落ち着きましたが。このときが人生で一番勉強したかもしれません。なにせ体力だけには自信がありましたから。
そしていよいよ医師国家試験を迎えました。
当時、国試は3日間ありました。学年全員で前日から梅田のホテルに泊まり込んで、毎日バスで試験会場(どこかの総合大学でしたが忘れました)に向かいます。クラスには国試対策委員という有志メンバーがいて、彼らがそれぞれの部屋のドアの下から予備校が作った予想問題集を差し入れてくれるのですが(医師国試にも予備校があるんです)、私は思い切って見ませんでした。見るとかえって混乱するかもと思ったからです。ですが、こういう風に皆が助け合って「全員で合格するぞ!」というところは、どこか部活と似ているかもしれません。
先ほど、普通に勉強すれば合格すると書きましたが、医師国試で落ちる人はたいがい「地雷問題」が原因です。「地雷問題」とは何か? それは、正解以外はすべて「患者さんの命に関わるような事態に陥る」選択になってしまう、という絶対に間違えてはいけない問題です。例えば、「ある感染症の治療をするときに、過去に重篤なアレルギーを起こした抗菌薬をまた使う」なんていう選択肢を選ぶと終わりです。地雷問題はだいたい出るパターンが決まっていて、勉強会のメンバーで共有すればまず間違うことはないのですが、「ぼっち」でやっていると誤って踏んでしまうことがあります。中には1発アウトの問題もあって、まさに「地雷」ですね。
3日間の試験をヘトヘトになって終えた後は、合格発表まですることがありません。お互いの記憶を持ち寄った答え合わせで少々ヘコみながらも、もうどうしようもありませんので、天命を待つ、ということで卒業旅行に行きました。当初はイタリアに行く予定にしていて、私は初めての海外旅行でもありとても楽しみにしていたのですが、前年の9月にあの「9.11」が起きてしまい、まだ世界情勢が不安定だったこともあって海外は断念、結局、北海道とディズニーシーに落ち着きました。国試に合格してもテロで命を落としたのでは元も子もないですからね。このブログを書くにあたって当時の写真を見返していたら、ディズニーシーの船のお尻で、私と野球部同期の野郎2人、当時ヒットしていた映画「タイタニック」のジャックとローズの真似をしている写真が出てきました。まじキモい・・・
そして迎えた合格発表の日。
国試の合格発表はインターネット上でした。今や当たり前でしょうが、20年前は今ほどネット環境が整っていませんでしたから、割と時代を先取りしていたんだなと思います。さすが国家試験ですね。自宅は嫌だったので大学図書館のPCで確認したのですが、ADSL環境なものですからページが表示されるのがとにかく遅いんです(ある程度の年代の方なら分かりますよね)。心臓バクバクでマウスを持つ手に汗握りながらじわーっとページが上がってくるのを待つあの瞬間と言ったら! 自分の受験番号があるのが分かった瞬間は、とにかくほっとしました。と同時にいよいよ医師として働くことになるんだという期待感がこみ上げてきたのを覚えています。
でも本当に大変なのはここからでした。
いよいよ研修医として働き始めるのですが、ドラマのようなかっこいい姿とはほど遠く・・・
次回、研修医編、お楽しみに! <つづく>