院長の生い立ち レジデント編

2022年08月31日

卒後3~5年目の医師のことをレジデントと呼びます。正確には、我々の時代にはまだこの呼称はありませんでしたが、わかりやすくレジデント編としたいと思います。

 

■医者デビュー!?

さて、みっちりしごかれた2年間の研修医時代を終え、ようやく半人前ぐらいになった私は、いよいよ大学病院から関連病院へと巣立つことになりました。これまで困ったことがあれば何でも同期に相談できましたが、これからはある程度一人で判断しなくてはなりません。緊張と不安を抱えたまま、ひとり東大阪の病院へ出向することになったのですが、当時、我が医局の関連病院の中で最も遠方であった同病院は、「30分以内に登院できる場所に住むこと」が赴任の条件でしたので(その理由は後ほど嫌というほど実感することになります…)、人事発表後の休日を利用して、大慌てで新住居の選定やら引っ越しやらを済ませました。最寄り駅に近い6畳ほどのワンルームマンションが私の新しい住処です。

 

赴任して最初に驚いたのが、同年代の医師の少なさです。消化器内科は私のすぐ上が10年先輩。周りを見渡しても同年代と言えるのは、5年ほど先輩の脳外科の先生だけでした。部長先生からオリエンテーションを受けながら、ふと緊急内視鏡呼び出し当番表に目をやると…、平日はすべて「岡田」、土日は1週以外すべて「岡田」。

「まさかね。もう一人岡田先生がいるんかな?」

そのまさかでした。

「先生、もう胃カメラ一人でできるな? 生検ぐらい出来るんやろ?」

「はい、まあ一応…」

「よっしゃ、ほんなら頼むな」

にやりと笑った部長先生の顔が悪魔に見えたのは気のせいではなかったように思います。

 

とは言え、3年目の半人前にまさか放置プレーはないよね? と半ば自分に信じ込ませて新生活がスタートしました。すると1週間が過ぎようとしていた土曜日のこと。慣れない仕事を終え、疲れ果てて自宅で寝ていた私の携帯が「ブーブーブー」と突然鳴りました。

「もしもし…」

「あ、岡田先生の携帯ですか? 吐血の患者さんが搬送されてるのですぐに来て下さい。」

一瞬で眠気も吹っ飛び病院へ駆けつけると、すでに緊急内視鏡検査の準備は万端整えられています。患者さんはストレッチャーに横たわっており、あとは検査するだけ。スタッフさんたちの視線が痛い…

「あの~上の先生は?…」恐る恐る私が尋ねると、看護師さんがきょとんとして

「へ? 先生だけですよ。さ、頑張りましょ!」

まさか再びです。もうこうなったら覚悟を決めてやるしかない! 私は半ば開き直って内視鏡を握り、いざ検査へ。幸いにも原因はごくありふれた胃潰瘍からの出血で、看護師さんたちの力も借りながら無事に止血処置をすることが出来ました。これが私の初めての緊急内視鏡検査でしたが、この成功体験は大いに私を自信づけました。患者さんのご家族から「ありがとうございました」と頭を下げられ、私もようやく医者らしい仕事が出来たんだなと心地よい達成感を得たのを覚えています。これに味をしめた私は、それからしばらく若者特有の、怖いもの知らずで向こう見ずな勢いのまま、ほぼ毎週のように呼び出される状況でもなお緊急内視鏡がやりたくてウズウズする毎日を過ごしていました。その後にとんでもなく恐ろしい体験が待っているとも知らずに…。

 

 

■血だまりの中で…

働き始めて半年が経った頃、また夜中に呼び出し電話が鳴りました。2時頃だったでしょうか。またしても吐血です。

この頃になるともう慣れたもので、「よし、今回も仕留めてやるぞ!」

気合いを入れて検査開始です。ところがいつもと様子が違います。胃の中には大量の凝血塊があるものの、血が出ていそうな部位は見当たりません。おかしいな? そしてスコープを十二指腸へ入れた途端、カメラの前に濁流のように押し寄せる血液! カメラには吸引機能が付いていて、液体で視野が取れないときはそれを吸引することで視界をクリアにすることが出来るのですが、吸っても吸っても画面は真っ赤のまんまです(業界用語で赤玉と言います)。徐々に自分の鼓動が早くなるのが分かり、嫌な汗がじわーっとにじみ始めます。

「出血源、どこやろう…?」

患者さんの血圧も下がり始め、鳴り響くモニターのアラーム音に、検査前とうって変わって現場が緊張感に包まれます。

「点滴、全開で落としてくださいっ!!」

そのとき、検査前にチェックしていたカルテの前回の胃カメラ所見がふと頭に浮かびました。「十二指腸静脈瘤あり」。

「まさか、破裂?」

たしかにどう見ても出血源は十二指腸で、しかも吸引の合間に一瞬だけ顔を現す、ドクドクと血が湧き出している部位は、記憶の中の静脈瘤の位置と一致します。

「間違いない、十二指腸静脈瘤破裂や…」

 

さあ、困りました。なにせ十二指腸静脈瘤破裂の止血処置などやったことがないのです。しかし一刻の猶予もありません。うろたえた私はすぐさま指導医だったF先生に電話しました。

「先生、今十二指腸静脈瘤破裂の人カメラしてるんですけど、どうやって止めたらいいですか!?」

私の切羽詰まった声に気づいたのか、深夜にたたき起こされたにもかかわらずF先生は至極冷静な声で、「ほんなら周りに生食(注1)打って血の勢い弱めてから、EVL(注2)してみ」とアドバイスをくれました。

(注1)生理食塩水のこと  (注2)カメラを使ってゴムバンドで粘膜を結紮する手技のこと

 

言われた通り、出血点とおぼしき場所の周囲に生食を注入し、少し出血の勢いを弱めてから、「えい!」とバンドをかけると、その瞬間ピタっと出血が止まり、霧が晴れたように一気に視界が開け、ゴムバンドは見事に静脈瘤にかかっておりました。固唾を飲んで見守っていた周りのスタッフも思わず拍手。汗びっしょりの私はようやく安堵のため息をつくことが出来たのです。

 

振り返って、今の私の力量で同じ手技をやっても100%成功するとは断言できません。視野の取れない中での止血処置はそれほど難しいものですから、17年前の半人前の私が成功したのは単にビギナーズラックだったのだろうと思います。F先生の冷静なアドバイスとかなりの幸運に助けられた訳ですが、何より患者さんを救命できて本当に良かったです。きっと少しばかり処置が出来るようになって調子に乗っていた私に、神様がお灸を据えてくれたのでしょう。緊急内視鏡の怖さを思い知らされ、まさにこれ以上ない激アツなお灸になりました。ちなみにF先生はいつでも駆けつける準備をしてくれており、バックアップ体制には問題なかったので、そこは「半人前に処置を1人でやらすとは何事か!」というご批判はなしでお願いしますね。何せもう17年も前のことですから。

 

■恩師との出会い

さて、そのF先生です。F先生は私より15年以上先輩の医師で、当時は消化器内科の副部長を務めておられました。温厚な人柄なうえ、とにかく何をやらせても一流で、専門は胆膵領域なのですが、胃カメラ、大腸カメラはもちろんのこと、血管造影や肝臓のエコー下処置まで、出来ないことはないのではないかと思うほどたくさん技術の引き出しを持っておられました。

 

でも私が一番感銘を受けたのはその働く姿です。大学病院は良くも悪くも体育会気質で、雑用は下っ端がするのが当たり前、入院患者さんも研修医が20人ほどを担当し、上の先生は指導医の名目のもと5,6人を担当すれば十分という環境なのに対して、F先生は雑用も片手間にこなしながら、常に30人以上も入院患者さんを受け持っておられました。大学で15年先輩となると講師クラスの先生でしたから、そんな偉い先生が文句も言わずにたくさんの入院患者さんを診ておられる状況は私の中で衝撃でした。しかもすごいのはそれだけではありません。その病院には17時から始まる夜診があったのですが、夜診にも関わらず50人以上も患者さんが詰めかけ、一人一人丁寧に診るものですから、なんと終了するのが夜中1時を回るという、にわかに信じがたいことが起こっていました! その時間まで待っている患者さんにも驚きですが、待つだけの価値のある外来、ということだったのでしょう。

私も入職したての頃は、大学時代の癖でF先生の診察が終わるのを医局で待っていましたが、早々にくじけてしまい、夜診の日だけは先に上がらせてもらっていました。

 

F先生には手取足取り、消化器内科の基本手技を叩き込んでもらいましたが、中でも腹部エコー(超音波)検査は神の領域で、随分鍛えて頂きました。忘れられないのが、ある重症の穿孔性急性虫垂炎の患者さんのエコーをした時です。F先生は検査を終えた後、所見用紙にさらさらっとお腹の中の絵を描き始め、「こうなってるわ」と私に見せてくれました。その後、緊急手術となって術後に外科医が描いた術中所見のスケッチを見た瞬間、私は鳥肌が立ちました。なぜならそれはF先生の描いた絵と瓜二つだったからです。

勤務病院の忘年会で尊敬するF先生(左から2人目)と(プライバシー保護のため一部加工しています)

卒後3年目という駆け出しの時期にF先生と出会えたことは、私の医者人生において本当に幸運だったと思います。医学知識や検査技術もさることながら、それを決してひけらかすことなく、常に謙虚で一人一人の患者さんに一生懸命に向き合うその姿は、私が初めて出会った理想の医師像であり、目指すべき大きな目標となりました。あれから「F先生のような医師になりたい」と思って、ずっとその背中を追いかけて来ましたが、残念ながらいつまで経っても背中は遠いままです。「追いつける日は来るんかな?」 そう自問自答しながら毎日四苦八苦しています。

 

次回は先端医療のすごさを実感することになった一人の患者さんと、レジデントの日常生活なんかをご紹介したいと思います。 <つづく>


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